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沿革
京王建設は、1979 年に軌道管理が主体の京王建設と、京王不動産から分離独立した京王技術センターが合併したことにより、業務内容が大きく拡大しました。
この二つの会社の流れが、今日の京王建設の業態を形作っています。
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京王建設の前身である鉄道踏切器材㈱は、1960年(昭和35年)4月6日、京王電鉄㈱を退職した社員により設立されました。本社は中央区日本橋、資本金は30万円。業務内容は、鉄道踏切警標や道路境界標の製造・販売・設置および踏切の保安に関する各種器材の販売等でした。
同社は1961年(昭和36年)3月3日に商号をミツバ興産㈱に変更、本社は渋谷区八幡通におき、その後1964年(昭和39年)2月24日に商号をミツバ工業㈱に変更、本社は渋谷区桜ヶ丘町におきました。
同社は1968年5月27日、京王電鉄㈱の子会社で鉄道車両の改造・整備等を業務としていた京王重機整備㈱の子会社となり、本社を京王重機整備㈱と同じ渋谷区笹塚に移転しました。その2年後、京王重機整備㈱が京王電鉄㈱に全株式を譲渡したことにより、同社は京王電鉄㈱の子会社となり、名称も「京王建設株式会社」に変更、本社は杉並区永福に移転し、資本金は500万円としました。
この後、1979年4月2日、京王建設は㈱京王技術センターと合併し、これにより鉄道工事だけではなく、土木・建築部門を持った総合建設業となりました。㈱京王技術センターは、京王電鉄㈱の不動産部門を母体として設立された会社となります。
1970年10月5日、京王電鉄㈱は京王ハウジング㈱を設立し、宅地造成と戸建住宅分譲を行う田園都市部のほとんどと、鉄道施設の建築を行う建設部建設課の一部従業員を出向させました。翌年同社は、京王不動産㈱に商号を変更。2年後に戸建建築部門を京王ハウジング㈱として独立させ、更に2年後の1975年3月1日に、宅地造成等の土木工事とマンション・店舗開発等の建築工事の設計・監理部門を㈱京王技術センターとして独立させました。
そして、この京王不動産㈱から分離独立した技術者集団である㈱京王技術センターと1979年に合併することで、京王建設の業務内容は大きく拡大しました。従業員は26名から117名になり、本社は渋谷区笹塚に移転、資本金は5,000万円となりました。これが京王建設の大きな転機となります。