
「栄光は努力なり」
プロ野球解説者 豊田泰光 氏
今回は、5 月29 日に開催した当社の安全衛生大会の講演会で、講師をお願いしたプロ野球解説者の豊田泰光氏にご登場いただき、現役時代(1953 ~1969 年、当時の西鉄ライオンズで10 年、その後は国鉄・サンケイ・アトムズに移籍)の思い出やプライベートなことなどを、いろいろとお話しいただきました。
─野球との出会い、プロ選手になりたいと思われたのはいつ頃からですか。
豊田: 小学5年生の時、担任だった先生が大変な野球好きで、わざわざ野球部を作ってくれましたし、私が住んでいた大だ いご子町(茨城県久慈郡)には、町内会の大人ばかりの野球チームがあって、そこに6年生の時から参加させてもらいましたが、けっこう対等にプレーすることが出来て自信になり、中学にはいった頃からプロ選手になりたいなと思うようになりましたね。
─プロ野球では、新人王や首位打者を獲得したり、日本シリーズで西鉄が三連覇した当時の中心選手として活躍されましたが、現役時代の思い出で、いちばん印象に残っていることは何でしょうか。
豊田: いろいろなことがありましたが、やはり1968年8月の中日との試合で、2試合連続で代打サヨナラホームランを打ったことでしょうね。この時は、2回ともホームランを狙って打席に立ち、さいわいにそれを実現
することが出来ましたので、本当に嬉しかったですね。他では、うまくいったことよりもエラー、ミスをした時のことはよく覚えていますし、自分のエラーで負けた試合のことは、本当にくやしくて忘れられませんね。
私は、失敗を糧かてにして、チームに迷惑をかけないような猛練習を重ねましたが、最初の頃多かったエラーもその後は減らすことができて、ベストナインにも6回選ばれているんですよ。
─一流になれる選手となれない選手について、その「差」はどのようなところから出てくると思われますか。
豊田: 野手の場合は、守備の方はそこそこに出来ていれば、あとはいかにいいところでヒットが打てるか、チャンスに強いという勝負強さを持っているかではないですかね。野球はある意味でメンタル、心理学的な要素が強いスポーツだと思いますが、プレッシャーに負けないで、チャンスに燃えてタイムリーを数
多く打てる、それだけの努力をして力をつけている選手が、本当にいい一流の選手と言えるのではないかと思いますね。
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